まるっと深谷ガイド
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はたらく(インタビュー④)

2020.03.12

豊かな土壌に恵まれた深谷で、農業の可能性を広げたい|新規就農

【新規就農者/安倍あんべ雄司ゆうじさん】

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野菜王国・深谷

深谷と言えば、「深谷ねぎ」

日本一の収穫量を誇るネギが広く知られているが、他にもブロッコリーやキュウリ、トマト、トウモロコシなど様々な作物が育ち、農業産出額は埼玉県内1位。

深谷で育たない野菜はないと言われる程の、肥沃な土壌に恵まれた土地だ。

農の可能性が広がる野菜王国・深谷に移住し、新規就農家として独立を果たした安倍雄司さんを訪ねた。

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自分で自分の責任を負える仕事を

安倍さんは、東京生まれ東京育ち。

滋賀県内の自動車関連工場に約10年間勤めた後、ご自身の怪我と病気、母親の病気をきっかけに仕事を辞め、転居した両親が暮らす街の近く、埼玉県熊谷市に引っ越した。

新しい街で以前から興味があった介護の職に就き、職場で奥様と出会って結婚。熊谷市内の社宅で暮らしていたが、深谷で生まれ育った奥様の、子どもを深谷の保育園に入れて丈夫な子に育てたいという想いを叶えるため、深谷に越してきた。

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「これから先、家族を養いながら長く働いていくためにはどうしたらいいかと真剣に考えて。腰の持病を抱え、いつ腰が痛くなるか分からない中で、このまま無理して介護の仕事を続けていったらどうなるのだろうという不安をずっと抱えていました。だからといって他の職種に変えても、急に体の調子が悪くなれば周りに迷惑を掛けてしまうかもしれない。人に迷惑を掛けず、自分で自分の責任を負える仕事がしたい。そう思うようになりました」

農の道へ

中心市街地を抜けると、のどかな田園風景が広がる深谷市。

安倍さんが越して来た櫛引くしびき地区も、土と緑が香る土地だった。

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「この辺りに住んでいると、近くに住む農家さんたちの行き来があって。家の隣に住んでいる農家のおじいさんは今90歳なんですけど、毎日畑に出て朝から夕方まで農作業をして、約二反の土地を耕してネギとブロッコリーを育てて出荷までしているんです。義理の父もサラリーマンをしながら深谷で家庭菜園をしているんですが、出荷できるくらいの量の野菜が採れて親戚中に配るんですよね。農業関連の機械も日々進化していくし、もしかしたら腰に負担を掛けないやり方も見つかるかもしれない。やり方次第では、今の自分でも始められるぞと思いました」

農業に可能性を感じ始めたのは、深谷に越して新しく家を建て、2人目の子どもが生まれたばかりの頃。

農を仕事にしたいと打ち明けた時には、怪我と病気を経験した後の異業種からの転職に家族も親戚も心配し、「絶対にやめた方がいい」と大反対した。

それでも目の前に広がる新しい可能性と人生を目の前に、簡単には諦め切れなかった。

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「生活のことも子どものこともありますし、いつまでも夢みたいなこと言っていてもしょうがないから、1年必死にやってみてだめならもう諦める。できないものはできない、できるんだったらやる。そう言って周囲を説得し、1年間自分の可能性を試す時間をもらったんです」

安倍さんは、修業先を相談しに深谷市役所の農業振興課へ。
何度も話し合いを重ねた結果、受け入れ先との縁を頂くことができ、農業法人の(有)ファームヤードで研修できることになった。

トラクターも運転したことがなく、種まきですら小学生の時以来。

畑違いの仕事に挑戦しようとする安倍さんを、農家さんは「何でもやることと、正社員として働くこと」。その2つの条件の下で迎え入れてくれた。

「研修先の農家さんには今でもとても感謝していて。『何でもやる』という条件の通り、本当に何でも経験させてもらったんです。『トラクターの免許あるんかい?』と聞かれて『ないです』と答えたら、『よし、取って来い。独立してやっていきたい人間がトラクターの免許ないんじゃしょうがないだろう』という感じで、すぐに取りに行かせてもらいました。ネギもキャベツも種まきから出荷まで全部教えてもらいましたし、枝豆も自動収穫機を使って収穫するところまで。トラクターの乗り方すら知らなかった人間が、種まきから苗の管理、定植、追肥、収穫、出荷先への納品まで、その一連の流れを全部経験させてもらったんです。それに、正社員として働きながら農業を学べるので、お金のことはそんなに悩まずに済む。修業し始めたときは上の子が4歳で下の子はまだ1歳だったので、そのことも本当にとってもありがたかったです」

朝一番で研修先に行き、夜は最後まで。

研修と並行して常に新規就農家として独立するための情報収集を欠かさず、休日には農家としての認定を得るために役所へ。

農と自分の可能性を見つめる一年を過ごした。

その真摯な姿を目にした家族や親戚も、1年が経つ頃には「やるからには続けていけ」と背中を押してくれるようになっていた。

人のあたたかさに恵まれた土地

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農を仕事にする力を身に付けても、実際に新規就農家として独立するためには、高額な機材一式を買い揃え、納屋や作業場を新しく建て、自分で自分の畑を耕さなければならない。

家族を養えるようになるまでには、歯を食いしばるような日々が続いた。

「一年目は本当に大変でしたね。最初は自分一人で色々と試行錯誤しながらやっていたんですが、やっぱりそれでは限界があると痛感しました。自分一人だけで農業をしていると毎日畑作業と出荷作業に追われて一日を過ごすので、情報が全く入ってこないんですよね。日々の野菜価格の変動もその時一番良い販路も分からないから、いつ何をどれくらいの値段でどこに出荷すれば良いかが判断できない」

農業は、作り手が心を込めて育てても、その年の気候条件に成果が左右される難しさがある。
種まきから転植まで約10か月。苦労してやっと育てたネギが、収穫直前に台風に見舞われたこともあった。

「自分でもやっと良いものができたと思っていたところだったので、夜、嵐が通り過ぎるのを祈るような気持ちで過ごしました。でも、翌朝明るくなって畑を見たらほとんどのネギが倒れてしまっていて、その光景を見たときは本当に愕然としました。そのままにしておくと曲がって育ち、本来付くはずの値が付かなくなってしまう。ネギは経営の要だったので考えている暇もなく、泥だらけになりながらとにかく元に戻して出荷までもっていきました」

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深谷市の櫛引地区は市外から来た人が林野を切り開き、耕作農地として開拓した土地。だから、元々は全員が移住者。

一人もがく安倍さんのことを「あの人はよそ者だから」と特別視せず、気にかけてくれる風土があった。

「ある日、畑で一人農作業をしていたら自治会長さんが『おうおう、やってんのかい』と話し掛けてくれて。この辺りの農家が集まる勉強会があるから、興味があれば来てみなと。実際に行ってみると、 勉強会というよりお酒を飲みながらの集まりだったのですが、そこで地域の農家さんとのつながりができましたし、それがきっかけで農業協同組合(以下、農協)への出荷を始めることになりました。農薬のことや機械のこと、最近の作物のことなどの情報を得ることができるようになったんです」

地元農家さんとのつながりが深くなるにつれて、元々農家さんに対して抱いていたイメージは大きく変わっていった。

「農家の人って頑固で不愛想でとっつきにくいイメージがあったんですが、深谷で実際に色々な農家さんと接してみて、話好きでフレンドリーな人が多いんだと知りました。よっぽど忙しい時にタイミング悪く話し掛けなければ、初めて顔を合わせた人でも『おぅ、おめぇ、どこで作ってるんだ?何作ってるんだ?』と、こっちが口を開く前に根掘り葉掘り聞きながらコミュニケーションを取ろうとしてくれます。修業先が深谷全体に200か所くらいの畑を持つ大農家さんのところだったので、1年間で市内の色々な地区の畑に行きましたが、この辺りの農家の人はだいたいみんな一緒で気さくな方が多いですね」

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「特に一緒に深谷の農業を盛り上げたい、一生懸命農業を頑張りたいと言ってくれる人に対しては、『おいでおいで、もう大歓迎だよ』とすごく喜んで受け入れてくれると思います。もちろん、実際に動いて努力する姿は見せなければいけないですが、自分の方からどんどん入っていけば迎え入れてくれる風土は必ずある。深谷で農業をやっている人は、見た目以上にいい人というかおおらかな人が多いです」

農業は、担い手不足と高齢化が進んでいるもの。
そのイメージもすぐに覆された。

「年齢層も20代の若手から80代以上のベテランまで幅広くて。特に深谷では今、若い人たちが活躍しているんです。同じ地区で新規就農して頑張っている子も今28歳で。実家が深谷で2代前まで農家をしていた家の子で元々はサラリーマンをやっていたんですが、農業がやりたいと深谷に戻って来たんです。その子は仲間を集めて私の畑の面積の3倍以上の畑をやっていますね。私と同い年の人が近くで農業法人の会社の社長をしているんですが、若手を集めて何か新しいことをやってみないかという話をしているところなんです。新規就農者の新しい挑戦を寛容に受け入れてくれる人が多い環境で、若い人たちがどんどん規模を拡大して深谷の農業を盛り上げていく。そういう姿に私もすごく刺激を受けて。後々は私も仲間を増やして、もっともっと畑を大きくしていきたいと思うようになりました」

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新規就農家としての認定を受けるためには、五反の農地を確保しなければならない。
将来的な農地拡大を目指す時にも、農に適した土地を新しく手に入れる必要がある。

地元農家さんが、外から来た人や若い新規就農者の活躍に協力的であることは、農の道を歩む上でとても心強い。

「五反と言っても、普通は一枚で五反の広さの農地確保するのは難しくて。近くにあったり離れていたり。遠くにあればトラクターで頻繁に通うこともできないので、土地を探すにも地元の方の協力は絶対に必要になります。 農協や農業委員会なども常に空いている農地の情報を集めていますが、農家さんは誰かに畑を手伝って欲しい、貸したいとなったら、まずご近所の農家さんや普段から親しく接している人に相談しますから、まず真っ先に公的な機関に相談しに行こうとは中々ならない。やっぱり地元に入って行って、地元の人に『空いてる畑ない?』と聞くのが一番良いです。深谷の農家さんであれば、『おぅ、この前、あいつがしばらく空いちゃうようなこと言ってたよ』と快く情報をくれると思いますよ」

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地域の方々のおおらかさとあたたかさに加え、深谷市役所によるサポート体制も万全だったと言う。

「研修先を探していた時もそうでしたが、相談するとすぐに動いて下さるし、定期的にお便りをくれて支援制度や助成金などの新しい情報を知らせて下さるんです。ネギの移植機を買おうと思っていた時は、市役所が機械購入の助成金を紹介してくれてすぐに申請して支援をいただくことができました。農協さんとか日本政策金融公庫さんに借り入れの相談をした時も事前に話を通してくださっていて、『ああ、市役所から聞いてます』とすんなり本題に入っていけたんですよね。そういうサポートがとても大きくて、ありがたかったです」

豊かな土壌

深谷の土は、北部は硬く、南部は柔らかいという特徴がある。

内陸ならではの夏の厳しい暑さはナスやオクラなどの夏野菜の栽培に適し、冬の寒さは野菜に甘みをもたらす。

年間を通して作物を選ばず、自分が育てたい農作物を育てられるのが、深谷で農業をする最大のメリットだ。

「実際に就農して最初の年はいろいろな作物を育ててみましたが、大きく育ちすぎることはあっても全く育たないということはなかったです。虫に食われたり草だらけにしたことはありますが、それは管理の仕方の問題で作ろうと思ってできなかった野菜はありません。もちろん南国でしか育たない果物などの栽培は難しいですが、一般家庭の食卓に並ぶような需要が多い野菜ならだいたい育てられます」

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「春はこれを育てて、夏はこれ、秋、冬はこれとこれをやるというように、年間を通して作物を育てられるし育てたい種類も選べる。 この辺りにはトマトやキュウリで大手の農家さんもいますし、全国的にも有数の花卉農家さんもいます。深谷で農業をするなら種類の限りはないですね。ほとんどの農家さんは年中作って出荷しています」

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「他の地域で農業している方からは、せっかく手塩に掛けて育てても卸先が限定されていてなかなか売り切れないという話を聞きますが、深谷には作った農作物の卸先がたくさんあるんです。家の場合は、車で10〜15分で行ける所に株式会社農業総合研究所と地元の中央市場、農協3か所の卸先があります。深谷では農協を使っても使わなくても、誰も何も言わないですね。農協に出しつつ違う作物は市場に持って行ったり。どの農家さんも上手く使い分けをして出しています。関越自動車道の花園インターチェンジから都心まで1時間半ほどとアクセスもいいので、将来的にもっと販売規模を拡大したいと思った時にも販路には困らないです」

広がる無限の可能性

人のおおらかさとあたたかさ、行政による万全なサポート体制。
何でも育つ肥沃な土壌に、卸先の豊富さ、都心へのアクセスの良さ。

それらに加え、深谷では今、街をあげて農と観光の振興を図る「ベジタブルテーマパーク構想」が進んでいる。

2022年春には、食品メーカーのキユーピー株式会社による、野菜楽しむレストランやショップ、野菜畑での農作業体験など、野菜の魅力を体感できる複合型施設「深谷テラス ヤサイな仲間たちファーム」が開業予定。

また、2020年秋には花園インターチェンジの近くに「(仮称)ふかや花園プレミアム・アウトレット」もオープンする計画だ。

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日本を代表する農業都市としての、さらなる発展が期待される深谷市。

新規就農を目指すにもUターン就農を志すにも、申し分ない環境が整っている。

「今は妻と2人で自分たちでできる範囲内でやっていますが、畑は最低でも今も3倍くらいの面積に広げたいですね。そこまで行けば、自然と法人化していこうという流れになると思います。それと並行して、育てて卸すだけではなくて仲間を集めて自分たちの手で新しい商品を作って販売するところまで目指していきたいんです。今、深谷ねぎドレッシングとかねぎチューブ(チューブ入り香辛調味料)とか、深谷ねぎのブランド力を活かした加工品を作りたいと話しているんです。資金とか人とか色々ハードルがあって今すぐに実現するのは現実的ではないですが、若い人達も頑張っているのでそういう人たちと手を組んで、これまでの農業の常識に捉われないような新しいことにも挑戦していきたい」

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「商品化も売り方もアイディア次第。だから、視野を広く持って可能性を模索していけば、もっともっと楽しいことができるんじゃないかな。農業は自分次第でまだまだ無限の可能性があるので」

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きれい好きで、遠慮がち。

深谷に越して来た当初は、物静かで控えめな性格だったという安倍さんの長男は、今では冬でも半袖半ズボンで土の上を走り周り、毎日泥だらけになって帰ってくる元気で活発な男の子に育った。

土いじりが大好きで、枝豆を育てたいと自ら畑で種まきをしたり、農作業を手伝ってくれたりすることも多いと言う。

豊かな土壌に恵まれた深谷では、あらゆる新しい可能性の芽があちらこちらで育まれている。

(文:高田裕美 写真:矢野航)

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