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深谷市の『ゆかりの人物』

世界遺産・富岡製糸場と深谷の三偉人

世界遺産に登録され注目されている富岡製糸場と絹産業遺産群。
その内、富岡製糸場の設立には、深谷の三偉人が深く関わりました。

渋沢栄一
渋沢栄一記念館所蔵

渋沢栄一
数々の功績を残した
深谷市出身の近代日本経済の父

明治政府で大蔵省租税正であった栄一は、農家出身で蚕桑に詳しかったことから富岡製糸場設置主任として建設の計画に尽力しました。

尾高惇忠


渋沢栄一記念館所蔵

富岡製糸場の初代場長となり、特に工女の教育に重点を置き、一般教養の向上と場内規律の維持につとめました。惇忠が掲げた「至誠神の如し」という言葉は、たとえ能力や才能が豊かではなくても、誠意を尽くせば、その姿は神様のようなものだという意味です。惇忠は富岡製糸場の開業時から経営に尽力しました。

韮塚直次郎


個人所蔵

直次郎は、瓦生産が盛んだった現在の深谷市明戸の職人とともに富岡製糸場の建設において煉瓦製造や資材調達のまとめ役をつとめた人物です。富岡に近い笹森稲荷神社(現在の甘楽町福島)付近の畑から煉瓦に適した粘土を発見し、その周辺に焼成窯を設け、煉瓦を焼き上げることに成功しました。

富岡製糸場

富岡製糸場は1872年(明治5年)に明治政府が製糸業の近代化を図るために設立した官営模範工場で、木骨煉瓦構造の特色のある建物群が140年以上経った現在もほぼ建設当時のまま保存されております。官営模範工場として日本各地に器械製糸技術を伝え、海外輸出や国内産業の発展に貢献しました。

【計画】富岡製糸場の設立には、明治政府の大蔵少輔であった伊藤博文と大蔵省租税正の渋沢栄一が担当となり計画が進められました。
【建設】富岡製糸場の建設には、韮塚直次郎が資材調達のまとめ役をつとめました。
【経営】富岡製糸場初代場長を尾高惇忠がつとめ、その経営にあたりました。

尾高ゆう

富岡製糸場第1号の伝習工女
『尾高ゆう』

尾高ゆう
個人所蔵

尾高ゆうは、官営富岡製糸場の第1号の伝習工女として操業に携わり、日本の近代化に大きく貢献しました。尾高ゆうは、尾高惇忠の長女として安政5年(1858年)頃に現在の深谷市下手計に生まれました。父の尾高惇忠が苦難を乗り越えて建設した富岡製糸場ですが、創業の礎となる工女の募集は困難は極めました。14歳のゆうは、父のつらい気持ちを察すると共に、新たな製糸技術の習得に胸を躍らせて、明治5年(1872)に伝習工女の第1号となりました。

畠山重忠

武蔵武士の鑑と讃えられた
『畠山重忠』

畠山重忠は武蔵国男衾郡(おぶすまごおり)畠山荘(現在の深谷市畠山)に生まれ、幼名は氏王丸といわれています。そのさわやかな気概と数多くの戦功等は、実話から伝説まで数多く語り継がれており、鎌倉武士の模範とまで讃えられた武将です。畠山重忠公史跡公園は老若男女に親しまれる公園となっております。

畠山重忠銅像

生沢クノ

女性と医療に尽くした『生沢クノ』

生沢クノは、元治元年(1864)に武蔵国榛沢郡深谷宿(現在の深谷市仲町)に生まれた、日本で2番目の女医です。当時は, 男性のみに許された医師資格を女性でも取得できるよう請願し、女性へ門戸を開放させました。医師となったクノは、深谷や寄居など埼玉県近隣各地で、女性と地方の医療に尽くす生涯を送りました。


生沢クノ近影

北川千代

社会的矛盾を直視した作品を数多く
発表した『北川千代』

北川千代は、大正から昭和期を代表する児童文学作家です。明治27年(1894)に榛沢郡大寄村(現在の深谷市上敷免)の日本煉瓦工場内の社宅で生まれました。社会主義婦人団体の「赤瀾会(せきらんかい)」や娼妓解放支援などの社会運動に参加する中で、社会的矛盾を直視した作品を数多く発表しました。

他の深谷にまつわる人物については、こちらもご参照ください。

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